棟方志功が故郷青森へ寄せた思いは言葉に尽くせない特別なものでした。
美しいけれど時には脅威ともなる自然、郷土の訛り、暖かい人々を棟方は「ねっとりとしたもち肌」の女性のようで「哀しくなんとも言えないもの」があるなどと語り、こよなく青森を愛していました。
棟方作品の中にはこのような青森への想いを描いた作品が数多く見られます。板木120枚からなる《東北経鬼門譜》を自ら語る中で、棟方は青森について次のように言っています。「東北も一番はじの冬が長く夏が短い、苦難の多い土地に育ちました。そこでは、百姓は苦労して仕事をしても、わずかの収穫しか得られず、夏あたりから寒い風が吹いて、いつも凶作ばかり、豊作という言葉は聞いたことのない土地に生まれました。易のほうでも東北をさして鬼門と言います。その土地に生をうけた、ということは何という宿命であったか。こういう宿命は自分ひとりのものでなく、土地のうけた宿命です。」
今回は故郷の悲しみを何とか解き放ちたいという棟方の祈りのこもった板画大作《東北経鬼門譜》をはじめ、棟方の自作の歌が彫り込まれた裏彩色の美しさが際立つ板画《あおもりはの柵》など青森をテーマにした作品の展示と併せて、棟方と親交があり同じく雪国にかかわり、昭和を代表する二人の写真家土門拳と濱谷浩がとらえた棟方像や青森の風景をご覧いただきます。