戦国時代(16世紀)の奈良では、仏像彫刻の製作環境が大きく変わりました。古代中世の伝統から大きく外れた俗人の仏師、いわゆる宿院仏師が誕生したのです。彼らは正統の仏師系図に載らぬ番匠(大工関係)出身の仏師集団で、3世代にわたる約八十年余りの活躍が知られています。初代の源四郎は海龍王寺の沙弥仙算のもとで木寄番匠として彫刻用材の木取りなどに携わり、続いて東大寺僧実清のもとで助作として仏像製作に参加しました。二代目の源次は俗人のまま宿院仏師と名乗って自立し、奈良宿院町に構えた仏像製作の工房を仏師屋と呼びました。三代目の源三郎は大仏師と名乗り、林小路町で工房を経営しました。この間の仏像の表現をみると、棟梁の交替時期を境にして作風が微妙に変化しているのがわかります。これまで注文製作であったのが、大きな社会変革のなかで店舗販売に変貌していったのかどうか、重要な課題が彼らの作品の中に潜んでいます。宿院仏師の仏像は多くが彩色を施さず、良質なヒノキ材を活かした素地仕上げであり、平明で清潔感のある表現に特色があります。その素直な表現は同時代の他地域の仏像と比べて独立しており、南都の古き良き伝統がそこに感じられます。また健康的な明快な表現には、近世職人の先駆けのようなところがあります。今日、宿院仏師関係の遺品は70件を超えています。本陳列はそのうちの主要な仏像31件を選んで宿院仏師の消長をたどります。中世末期の奈良文化を象徴する宿院仏師の歴史とその作風にふれていただけたら幸いです。