古九谷と再興九谷の名品を二期に分けて公開します。49点を展示しますが、今号では、展示する窯の概要を紹介します。
古九谷は、明暦から宝永(17世紀中頃~18世紀初)の頃、山中温泉から大聖寺川を十数キロ上流に遡った九谷の地で焼成された色絵磁器をいいます。古窯の発掘調査は、昭和45年より五次にわたって行われ、54年には国の史跡に指定されています。
古九谷窯廃絶後、加賀の地で窯業再興の先駈けとなった一つが、文化4年に開窯した金沢の春日山窯です。京都から青木木米が指導に訪れ、木米好みの中国趣味を反映したやきものが焼かれました。この窯は文政初年頃に廃窯になりますが、それを惜しんで操業されたのが加賀藩士武田秀平(号民山)によって、文政5年に開かれた赤絵細描を特色とする民山窯です。いずれも金沢地区での開窯です。
能美・小松地区で先鞭をつけたのが文政2年頃開窯の若杉窯です。藩の保護奨励もあって興隆し、いわゆる殖産興業の量産方式による日用雑器が中心に焼かれます。また文政2年には本多貞吉に陶法を学んだ藪六右衛門開窯の小野窯、弘化4年小松の松屋菊三郎が主宰した蓮代寺窯、幕末から明治初頭にかけて、華麗な彩色金襴手の技法で一世を風靡した九谷庄三などが活躍しています。
他方、江沼地区で雄勁な筆致、渋くて深く、しかも厚く彩られた豪放華麗な古九谷の再興をめざして、文政七年に開窯したのが吉田屋窯です。このほか、赤絵細描を特色とする、天保三年開窯の宮本屋窯、吉田屋窯の塗埋様式を踏襲する松山窯、金襴手で有名な永楽和全など今日の江沼九谷の流れが形成されます。
今日の九谷焼の源流となっている、これらの諸窯の特色と変遷をご鑑賞下さい