小林和作(1888-1974)の描いた風景画は、油彩画による日本の風景の表現をうかがうときに欠くことのできない独特の充実した内容として今日も高い評価を得ています。その画業を初期の日本画や、水彩による風景スケッチもふくめて約60点の作品により回顧します。
1888(明治21)年、現在の山口市秋穂に生まれた小林和作は最初日本画を志して京都に学びます。しかし途中から洋画に転じ、上京して梅原龍三郎、中川一政らに師事して春陽会展に出品し。ヨーロッパに渡っての制作も行ないました。1934(昭和9)年からは春陽会を退会して独立美術協会の会員となり、尾道市に居をかまえます。以後は風景画の題材を求めて春、秋に日本全国を訪ね歩き、おびただしい数のスケッチを積んで、それをもとに画室で油彩画を制作するスタイルをとりました。こうして生まれた、自然の造形から得た力強い構図と、ナイフを多用した即興的な筆触の豊潤な色彩による風景画は他に類をみないものです。
1974(昭和49)年にスケッチ旅行中に不慮の事故がもとで亡くなるまで旺盛な制作は止むことなく、自らを「民衆画家」と称して周囲に惜しみない援助をほどこした飾り気のない人柄も多くの人にしのばれています。