茶道裏千家11代家元・玄々宗室(1810~1877)は、明治初期に点前作法の簡略化を図り、立礼式点前を考案するなど茶道の近代化に努めた人物です。奥殿藩主・松平乗友の5男で10歳の時裏千家の養子となり、今日の茶道興隆の基礎をつくりました。
又、日庵(渡邊規綱)は乗友の二男で玄々斎の兄にあたります。江戸時代、市内寺部町近辺の領主であった寺部渡邊家の養子となり、10代当主となりました。寺部渡邊家は代々尾張藩の役職をつとめた家柄です。尾張12代藩主となった徳川斎荘は、玄々斎を召して茶事を学び、一時期尾張藩の茶湯が裏千家流にまとめられたことが知られていますが、この尾張藩と裏千家との架け橋となったのが家老で茶人の又日庵でした。
この度は童子苑10周年を記念し、玄々斎・又日庵が遺した茶道具を集め展示いたします。