1543年の種子島における西洋人との出会いは、日本人がそれまで有していた世界観を大きく変えました。以降も新しい地理情報が入ると、地図上には地名や地形が付け加えられるとともに世界図の様式にも変化が現れました。海外から伝わった地理情報がどのように受け入れられたのか、肝臓の古地図資料をもとに紹介します。
間接的な受容としては、西洋の地図がキリスト教の宣教師により中国で漢訳化され、日本へ伝来した例があります。特にマテオ・リッチ作「坤興万国全図」の影響は大きく、この地図を基に日本で多くの世界図が作られました。長久保赤水作「地球万国山海興地全図説」はその代表的なものです。
また、西洋から直接入ってきた地図を基にした「四都図・世界図屏風」(重要文化財)のような卵形世界図や東西両半球図形・方格形の世界図も作られました。
その上日本人が伝統的に持っていた仏教的教義による地図もあり、興味深いことに、それぞれの世界図は共存して作られ人々に受容されていたQのです。