国宝 仏頭について
昭和12年(1937)10月30日、解体修理中の興福寺東金堂本尊薬師如来の台座の中で、仏像の頭部が発見されました。これは鎌倉時代の興福寺復興期に、東金堂の本尊であった如来の頭部で、もとは飛鳥の山田寺講堂の本尊でした。
山田寺は大化改新で活躍した蘇我倉山田石川麻呂が建てた寺です。そしてこの如来像は、謀反の疑いをかけられて自害した石川麻呂の冥福を祈って、石川麻呂の没後につくられたものです。
この像は銅の表面に鍍金(金メッキ)をして仕上げる金銅仏で、天武7年(678)に鋳造を開始し、天武14年(685)に完成供養されたという記録が残っています。応永18年(1411)の興福寺東金堂火災の際に焼失したとされていましたが、頭部だけが奇跡的に生き延びていたのです。
その目鼻立ちはすっきりとして美しく、遠方を見つめるようなまなざしはおおらかで、青年のようなみずみずしさにあふれています。初唐文化の影響をうけ、古代日本に新たな境地を開いた白鳳美術の代表といえるでしょう。