葡萄唐草文とは、葡萄の房や葉がついた蔓状の文様をいい、
古代ギリシアにおいて誕生したといわれています。
葡萄唐草文は、西へはローマから広くヨーロッパに伝わり、葡萄が持つ生命力から豊かな実りをイメージする文様として好まれました。東へは、シルクロードを通じて西アジアから中央アジア・中国、そして日本へと伝わっていきました。
日本へ伝わったのは7世紀末頃といわれ、8世紀の奈良時代になると、シルクロードで栄えた唐文化の影響から
正倉院宝物の工芸品の装飾に多く用いられ、天平文化を代表する文様のひとつとなりました。
また、奈良県明日香村の岡寺をはじめとする山岳(山林)寺院の軒平瓦の文様としても用いられたことは注目されます。
その後、安土桃山時代から江戸時代初期にかけては、南蛮文化との接触により、これまでの葡萄唐草文とは異なる葡萄の表現が登場し、例えば欄間などの建築装飾には「葡萄と栗鼠(りす)」の組み合わせが表現され、その一方で日本独自の表現である「葡萄棚図」などが誕生します。
また、明治時代になると文明開化により、ヨーロッパの葡萄唐草文と出会うことになります。このように、日本における葡萄唐草文の変遷は、異文化と出会うことにより登場するという国際性が大きな特徴となっています。
この展覧会では、イラン・パキスタン・中国・朝鮮半島の海外資料を交え、葡萄唐草文が伝来した経緯をご紹介するとともに、古代から近世の工芸品や軒瓦などの考古資料により日本における葡萄唐草文の変遷をご紹介します。
なお、本展では、東大寺が所蔵する国宝「葡萄唐草文染韋」「金鈿荘大刀(東大寺金堂鎮壇具)」をはじめ、
“シルクロードからの贈り物”と呼ぶにふさわしい資料の数々を公開します。
この機会に是非ご覧ください。