「沈黙の声」は、現在際立った活躍を繰り広げている3人の作家の作品を展示し、近年の現代美術の成果の一端を紹介しようとするものです。
遠藤利克(1950年生まれ)は長く水を用いた作品を制作してきました。今回展示される≪欲動―近代・身体≫は、そのうち、90年代後半にはじまる「欲動」と題されたシリーズの一点です。欲動(Trieb)とはフロイトの用語で、本能や衝動など人間の意識の下に潜みその行動を決定付ける根源的な力、といった意味の言葉です。遠藤は、あやふやで生ぬるい現代日本の社会の実情を、作品を通しておおもとから見つめなおそうとしています。
70年代からヴィデオ・アートの中心的な存在であり続けているビル・ヴィオラ(1951年生まれ)の≪追憶の五重奏≫は、passion(激情・受難)という近年のこの作家のテーマが熟成された代表作のひとつです。35ミリ・フィルムにより高速撮影された約1分間の映像が、15分間ほどに引き延ばされたもので、中世からルネッサンスにかけてのヨーロッパの宗教画を参照しつつも、主題はより普遍化され、静寂の中、観るものの感情の深部にじわじわとなにかを訴えかけます。無音を聞くという際立った聴覚体験、超スローモーションによる運動と静止の融合の体験が絶妙に絡みあい、五感が敏感に研ぎ澄まされ、開かれていきます。
≪針の女、2000-2001≫は、韓国の代表的な布を用いたインスタレーション作品で知られるキムスージャ(1957年生まれ)の近作です。長い髪を束ねた地味な服装の女性(作家本人)の周囲を、それぞれの街の群集が、時には無関心に、時には好奇の眼を向けながら通過していきます。映像には何のコメントも編集もなく、さしたる出来事も起こならないのですが、毅然として微動だにせず、まさに針のように人々を貫いていく彼女の後ろ姿は美しく、私たちはそこにいつしか自分の感情を委ねていくのです。
ここに紹介する3作品は、各作家それぞれが独特な表現の境地に達した結果といえますが、そのいずれもが共通して、瞑想ともいえるほどの内省的なたたずまいを見せていて、しかも、それらが決して晦渋なものとならず、観るものを静かにつかみ放さないような色気を発するのです。声高な自己主張を押し付けるわけではなく、現代美術の「流行」とも無縁といえるこれらの作品は、それぞれ独自のあり方で、私たち・・・