1907年、レオノール・フィニはアルゼンチン人の父とイタリア人の母のあいだに、さらにその先祖にはスペイン、ヴェネツィア、スラヴ、ドイツ、ナポリといった、さまざまな混交する血と種族の愁いを兼ね備えて生を受けました。黒い瞳に黒い髪、強烈な魅力をもつ彼女は、幻想的な作風を示すレオノラ・キャリントン、ドロテア・タニングにならぶ、異色な女性シュルレアリスム画家としてパリで鮮烈なデビューを果たします。エルンストやバタイユら、ときの詩人や芸術家と親交を結び、1935年以降、パリ、ロンドン、ニューヨークで絵画展、書物の挿絵やローマオペラ座での舞台装置、バレエや映画の衣装、小道具、はては宝石のデザインまで手がけました。こうした女性プロデューサー的な側面は、当時、時代のカリスマとしてとらえられましたが、彼女の創造性は、じつは現代にこそ通じる魅力を持っています。
一方、フィニの描くタブローには、夢みるような、瞑想的な沈黙の女性たちが居ならび、華やかな女の都が描かれています。それはフィニが「女」であることの特質を絵画の中に包みかくさず描いたゆえに生まれた、女、魔術、古代への回帰、つまり毅然たる女祭司を中心とした、古代社会の神秘な祭儀が成立した時代への憧憬とも思われます。
「存在しないもの、そして私が見たいものを描く」というフィニは、その本能的ともいえる魔術的技量によって、古い神話を生きた現実へと再構築し、私たちに万物創世の聖域を垣間見せてくれることでしょう。