「大使館の街」港区のルーツは約150年前の安政元年(1854)、日米和親条約をはじめとする欧米諸国との和親条約によって開国した幕府が、安政6年(1859)以降に江戸に赴任してきた外国公使の滞在施設を現港区内の寺院に定めたことにはじまります。
平成15年度から継続されてきた調査によって、善福寺に伝来した一連のアメリカ公使館関連資料(ハリスの用いたサーベルや、善福寺が公使館に指定された文書等)や、東京大学史料編纂所が所蔵する各公使館(寺院)の警備地図、東京都立中央図書館に残されていた御殿山公使館の洋風建築の設計図面(大棟梁辻内近江作成)、さらに本館が入手した館林藩士のアメリカ公使館警備日誌「善福寺出張中日記」など、これまで紹介されることのなかった貴重な資料の存在が多数明らかになってきました。これらの資料の発見によって、幕末の日本と欧米諸国の交渉現場の様子が具体的に浮かびあがってくるとともに、外国公使館の警備の問題など新たな研究のトピックも生まれてきています。
特別展「江戸の外国公使館」では、以上のような初紹介の資料をまじえながら、幕末期の外国公使館の姿を紹介し、日本と欧米諸国の最初の接触のありかたを探ります。