ジョン・レノンは、1972年3月16日にアメリカ政府から国外退去を命じられて以降、アメリカ永住権を求める闘いを続けました。
そして、ジョンがグリーン・カードを手にし、アメリカ永住権を獲得したのは、1976年7月27日のことでした。ジョンは、その直後の10月に晴れて新しいパスポートを取得します。今回、展示されるのはそのパスポートです。
ジョンとヨーコのあいだには、1975年10月9日に息子ショーンが誕生します。その後、ジョンは音楽活動を休止し、子育てを中心とした「ハウスハズバンド」(主夫)と呼ばれる時代を送っています。このパスポートは、そんな時期にジョンが手にしていたもので、ほとんどの渡航は仕事を離れたプライベートなものです。
このパスポートが最初に使用されたのは、1976年10月19日から22日までの香港・マカオ旅行。最後のスタンプは、1980年6月11日のバミューダへの旅でした。その間、ジョン・レノンがケイマン諸島、南アフリカ、エジプトなどの場所をこのパスポートを手に自由気ままに旅していたことが記録されています。また、1977年から1979年までの3年間にわたって毎年、日本を訪問していたことも記録されています。
ジョン・レノンは、1980年12月8日にニューヨークで凶弾に倒れます。そのため、このパスポートがジョン・レノンが手にした最後のパスポートとなってしまいました。