近江日野出身の高田敬輔(1674-1755)については、早く中林竹洞の『竹洞画論』において奇想の画人曾我蕭白と並び称され、時には蕭白の師とも云われてきた。敬輔は、京狩野家の山楽・山雪・永納に継ぐ永敬のもとに学び、幕府のある江戸にも進出して中央絵師として名を上げる。その一方で郷土日野の後進育成にも力を注ぎ、弟子の中には島崎氏などの日野商人も含まれていた。その島崎氏の元祖七左衛門の二男利兵衛(1654-1726)は商域を関東にも広げて下野茂木の地に出店し、後には近隣にも支店を出すほどになった。三代目にあたる利兵衛(1731-1805)は若年時に、日野との往来の中で晩年の敬輔に師事している。雲圃と号し、生涯にわたって家業の傍ら絵画制作を続け、当地の文化向上に大いに貢献するが、晩年期の雲圃から写実的な鮎画を学んだのが小泉斐(1765-1854)である。下野益子出身の斐は、鮎画でその名を知られるが、実に多才な画人であり、その魅力はむしろ鮎画以外にあるといってもよいほどである。神仙を中心とした故事人物画や円山応挙風の美人画、中国明清絵画の影響を受けた山水画や持ち前のフットワークのよさを反映した真景表現など、斐の画事の幅は極めて広く、またそれぞれにおいて個性的である。
本展覧会は、栃木県立美術館と滋賀県立近代美術館の共同研究により、京狩野から敬輔、そして敬輔から雲圃・斐へと続く系流を、敬輔との関連で注目される月岡雪鼎や曾我蕭白らの作品も含めて辿るものである。本展によって、近江出身の一絵師が中央で活躍するに到り、その後再び地方に回帰してゆく姿を浮き彫りにすると共に、関東とネットワークをもつ近江日野商人が、小泉斐や彼の交わった水戸や江戸文人サークルの育成に果した役割をも明らかにしたい。