日本の現代写真の展開のなかで、柴田敏雄や畠山直哉など風景の概念をうちやぶる作家たちが登場したのが90年代前後。日本の新たな風景写真として国際的にも注目されました。その後、90年代末に、野口里佳、横澤典など、風景に対する異質なアプローチが登場してきました。さらに、21世紀に入って、デジタル革命が写真メディアにも深く浸透し、新たな感覚の風景作品が登場してきています。ここでは、その特徴を、「サイト」(特別な意味性やイメージを奪われた場)に関する「グラフィックス」(描写)であると仮に想定して、そこに見えてくる写真表現の可能性と広がりを社会的・美術的なコンテクストも含めて検証する場にしたいと思います。
「サイト・グラフィックス」という聞き慣れない言葉について説明しておきましょう。これは、風景における「場」の新たな側面を指し示そうというひとつの造語です。ベルリンの壁崩壊以降の社会状況、そしてデジタルネットワークの進展は、現実において黙示録的な歴史性の概念を解消してしまいました。それによって、歴史性に結びついた「場所」の概念も大きく揺さぶられ、そこに歴史性から脱却した「場所」の概念が生まれてきました。フランスの哲学者、ボードリヤールの言葉をなぞるならば、歴史的な意味をはぎ取られた「中性的で無差別的な」場とさしあたって仮定できるかもしれません。日本の現代の風景表現において静かに、しかし確実に進行しつつある現象は、ここに生まれつつある新たな「場所」の概念と密接に結びついています。こうした新たな場所概念を思い起こさせる写真に対して、手垢の付いた「風景写真」(ランド・スケープ)ではなく、中性的な「場」の意味をもつ「サイト」(Site)と「描く」という意味の「グラフィックス」(Graphics)を組合わせた「サイト・グラフィックス」という言葉を、風景表現の新たな質をより明確にできるのではないかという希望とともに適用してみたいと思います。
写真表現の新たな可能性を、ご高覧ください。