東京美術学校を離れ帝国美術院展で活躍した時 期、猪熊は文子夫人やモデルたちを豊かな筆致で写実的に表現しました。またフランス滞在中には、猪熊が好きだったピカソや直接指導を受けたマティスの影響を受けパリで生活する人々の姿を、帰国後は当時飼っていた猫たちと人物を組み合わせた抽象的な人物像を描きました。1955年の渡米を機に、都市や風景、宇宙をテーマに抽象画家としての作品制作を続けますが、1988年妻文子の死をきっかけに「顔」そして「裸婦」などを四角や丸などとともに表した人物像を再び描くようになりました。本展覧会では、初期から晩年における作品を下記にある4つのテーマに分け、猪熊の描いた「人物像」のさまざまな表現をご紹介するものです。