タイトル等
Ceramic Site 2024
大原千尋 かのうたかお 清水六兵衛 國方善博
小海滝久 小松純 重松あゆみ 杉山泰平
須浜智子 堤展子 西村充 長谷川直人
堀野利久 前田晶子 南野馨
会場
ギャラリー白 ギャラリー白3 ギャラリー白 kuro
会期
2024-06-03~2024-06-15
休催日
日曜日休廊
開催時間
11:00a.m.~7:00p.m.
土曜日5:00p.m.まで
概要
根源的なるもの、これからの陶芸へ
マルテル坂本牧子

現代陶芸とは何か。
陶(やきもの)を素材とする、あるいはテーマとする作品は、現代の造形において、どのような存在と成り得るのか。

私が勤める兵庫陶芸美術館は、日本六古窯(註1)の一つである丹波焼の産地に立地する。開館は2005年で、陶芸を専門とする美術館としては日本最後発となるが、古陶磁(過去)を取り扱うだけでなく、現代陶芸(現在・未来)をリアルタイムに注視し発信していくというミッションも担ってきた。そもそも、陶芸に特化してしまうと、専門領域も来館者のターゲットもかなり限定されてしまうのであるが、その一方で、長い歴史を持ち、人々の身近な生活から社会、文化、芸術まで、様々な領域としなやかに結びつく陶芸が、じつはあらゆる造形表現の中でも、抜群に高いポテンシャルを持っていることを実感する日々でもあった。過去・現在・未来、そして、ローカルとインターナショナルという、なかなかユニークな切り込み方で陶芸を扱いつつ、何よりも「芸術としてのやきもの」にこだわってきたことも、私たちの一つの信念であった。じつのところ、陶芸の裾野は広い。そして、根源的なものである。その意味で、本来は万人に響くはずの芸術なのである。かつて、イギリスの美術批評家ハーバート・リード(1893-1968)は、1931年に刊行した著書『芸術の意味』に収めたテキストの中で、次のように述べている。

「まず陶器はすべての芸術のなかで、もっとも単純であると同時にもっとも難解なものである。それはもっとも基本的であるゆえにもっとも単純である。そしてもっとも抽象的であるゆえにもっとも難かしい。歴史的にいえばそれは芸術の先駆けである。(中略)陶器はそのもっとも抽象的な本質において造形芸術なのである。」(註2)

リードは、やきものを「単純・難解・基本的・抽象的」と評しながら、「芸術の先駆け・抽象的な本質において造形芸術」と定義しているが、じつはこのリードの考えを「きわめて現代的な見方」とし、戦後の日本陶芸を牽引した前衛陶芸(オブジェ)という動きを想定しながら、「芸術としてのやきもの」を標榜したのが、美術批評家で兵庫陶芸美術館初代館長の乾由明であった。「やきもののオブジェが、現代彫刻に対してどれだけ強固な造形力をそなえ得るかというだけでなく、いかにしてその固有の意味と構造を持つことができるか」を作品に求め、それは、「陶芸というよりも、むしろ美術の文脈でとらえなければならない」と主張した(註3)。
今、改めて振り返ると、ギャラリー白とは、まさに、「陶芸を美術の文脈でとらえようとする場所」であったのだと気づかされる。そして、Ceramic Siteはその中心的かつ象徴的な実践の現場でもあった。本展は、2002年にギャラリー白が現在の場所に移転した翌年の2003年から始まったが、以前にも触れたように、その前身となったのは、移転前の2001年に開催された「陶芸展〈壁〉」であり、移転年の2002年とコロナ禍で中止となった2020年を除き、毎年開催されてきた現代陶芸のグループ展である。今年で21回目を数え、これまでに出品した作家は総勢27名にのぼる。いずれも1950~70年代に生まれ、1980~2000年代に芸術大学などで陶芸を学んだ後、関西を拠点に制作活動を続けている作家たちである。
2000年代は空前のうつわブーム、民藝の再ブームも手伝って、現代陶芸が素材や技巧で語られ、工芸という狭い範疇に押し込められていくような感覚に閉塞感を覚える作家も少なくなかった。「美術か?工芸か?」という議論が、当時、さかんに行われていたが、批評なき工芸の世界に、「現代美術としての陶芸」を打ち出していくことが、多くの作家たちのモチベーションとなっていたことは事実である。Ceramic Siteにおいては、「美術か?工芸か?」という議論よりも、作家たちが実践的に感受するものを拠り所に、独自の陶芸表現を切り拓き、それぞれのパーソナルな問題意識を作品に盛り込みながら、独立独歩、現代の造形としての強度を高めていったように見える。
しかし、そんな中、その「意思確認」ともいえるような鋭い問いかけをしたのが、他でもない、ギャラリー白の創設者である鳥山健(1922-2013)であった。2007年のCeramic Siteでは、鳥山自らが「なぜこのかたちか?」を作家たちに問いかけ、作家たちは各々に答えを寄せた。問われていたのは、土(素材)でもない、技術や技巧でもない、陶であることの意味でもない。あくまでも作品の拠り所、純粋な制作動機についてであった。現代陶芸において、現代美術としてのポテンシャルをいち早く予見していた鳥山だからこそ、シンプルかつ本質的な問いをぶつけ、作家たちの意識をぐっとその核心へと手繰り寄せようとしていたのではないだろうか。「関西ニュー・ウェーヴによる現代陶芸」は、まさにギャラリー白のアイデンティティの一つであったといえるであろうし、Ceramic Siteは、その諸相を知る好機として、長年、親しまれてきた。本展が果たしてきた役割はきっと、思いのほか、大きいのではないかと思う。

今年3月、重松あゆみ(1958- )、長谷川直人(1958- )が、勤務先の京都市立芸術大学を揃って退官し、二人の退官記念展「『テクスチャー・ストラクチャー』-現代陶芸 同時代の異なるアプローチ-」が、移転したばかりの新校舎で開催された。1980年代半ばから現在まで、およそ40年におよぶそれぞれの創作活動が、近作を中心としつつ、初期作品も交えることで、コンパクトながらも凝縮して紹介されていた。重松は「かたちと構造」、長谷川は「質感と物質性」、ともに造形的なアプローチは異なるものの、二人の作品からは、周囲の空間を震わせるような「根源的なるもの」が立ち上り、これからの陶芸を静かに照らしているような感覚を覚えた。戦後に興隆した前衛陶芸のパイオニアたちの薫陶を受けた彼らが、より洗練された造形と美意識を体現しながら、「芸術としてのやきもの」の追求を決してやめない。それぞれの作家、そして、次世代、またその先まで。これからの陶芸も、きっとまた「新しいかたち」を持つことであろう。人間が生きている限り、おそらく陶(やきもの)がこの世界から消えることはない。根源的なるものとは、やきものの根幹を成すものであり、過去にも未来にも存在する。
(SAKAMOTO-MARTEL Makiko 兵庫陶芸美術館学芸員)

註1 中世から現在まで、連綿と窯業生産が営まれた6つの窯場(瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前)をいう。1948年頃に陶磁器研究者の小山冨士夫が提唱した。
註2 ハーバート・リード/滝口修造訳『芸術の意味』みすず書房 1966年 pp.28-29(Herbert Read,The meaning of Art,Faber & Faber Ltd.,London,1931)
註3 乾由明「芸術としてのやきもの-現代陶芸の系譜」『やきもの-土と火』 美術出版社 1982年 p.18
会場住所
〒530-0047
大阪府大阪市北区西天満4-3-3 星光ビル2F
交通案内
●JR大阪駅/地下鉄梅田駅より約15分
●京阪/地下鉄淀屋橋駅1番出口より約10分
●地下鉄南森町駅2番出口より約10分
●京阪なにわ橋駅1番出口より約5分
ホームページ
http://galleryhaku.com/
会場問合せ先
06-6363-0493 [email protected]
大阪府大阪市北区西天満4-3-3 星光ビル2F
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