■片隅にある世界の永遠―久野和洋の絵
野地 耕一郎
久野さんは、いつもひとりで立っていた。
そうして、通り過ぎてしまいそうな何の変哲もないこの世の片隅にある風景や静物に向き合い、時間や空間の変化というものに捉われずに、ひたすら感じた(観じた)対象に自己を没入させようとしていた。
だからなのか、絵のなかに人の情感をあおるようなものを安易に描きいれることはなかった。久野さんの絵のなかに一片の雲もないのは、そのせいだ。
ひたすら対象に溶け込み胸の内に沸き起こるものに従って絵画することで、風景を単なるローカルなものに終わらせるのではなく、人と自然との長い歴史が息づく場所を永遠なものにしようとしたのだ。そのために、久野さんは古典名画の重厚で透明なメチエを手に入れようとルーブルに通った。
風景や静物にそのものが持つ存在の本質を語らせるような久野さんの表現は、だから一見透き通って滑らかに見えるものでも、よく見れば執拗に刻み込むような筆致のうえに成り立っている。
久野さんにとって描くことは、本来の自分を探す旅だったように思う。遺された絵のなかに、確かに久野さんは今もひとりで立ち続けている。 (泉屋博古館東京 館長)