今からおよそ百年前の、1923年9月1日に発生した関東大震災では建物にも甚大な被害が及びました。罹災後、復興によって近代的大都市としての東京の風景が形づくられていきます。
実はこの大震災時、洋画家・中村研一は日本を離れていました。当時彼は20代後半、その年の2月念願のフランス留学を叶えていたのです。
第一次世界大戦終結後のパリには日本人洋画家が多く滞在しており、その一人である中村も画家としてのステップアップを実現しつつあるところでした。
――そうしたパリの中村が、故国大震災の報に接し、何を思ったかは残されていません。しかし東京には、東京美術学校以降、彼がずっとアトリエとしていた明治神宮近くの居宅がありました。ここは、震災時も無事だったようです。その後、1928年にフランスから帰国した中村はこの居宅で新婚生活をスタートさせました。
この住まいが失われるのは、太平洋戦争末期のことです。当人が疎開中に空襲で焼失、その中にあった戦前からの作品なども失われました。疎開先から戻る先を失った中村夫妻は知人のつてで、「はけ」にやって来ることになり、この地で、終生までを過ごしました。
中村研一は時代の変遷を、都市と郊外の往(ゆ)き来(き)として、目に映る風景の変化として体験した――と言えるかもしれません。本展タイトルの「往還」には、こうした思いを込めましたが、その往還につれて、画家としての中村だけでなく、目的地自体も移り変わっていったのです。
人生が一本の道のようなものであるとするならば、中村研一の「画家としての人生」の道の向こうには、何があったのか。ぜひ、展示を通じて想いを馳せてみてください。