池上秀畝(いけがみしゅうほ)(1874-1944)は、長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)に生れ、明治22年(1889)、本格的に絵を学ぶため上京し、当時まだ無名だった荒木寛畝(あらきかんぽ)の最初の門人・内弟子となりました。1916年から3年連続で文展特選を受賞、帝展で無鑑査、審査員を務めるなど官展内の旧派を代表する画家として活躍しました。
同じ長野県の出身で同い年の菱田春草(1874-1911)らが牽引した「新派」の日本画に比べ秀畝らの「旧派」と呼ばれる作品は近年展覧会等で取り上げられることはほとんどなく、その知名度は限られたものに過ぎませんでした。しかし、伝統に基づく旧派の画家たちは、会場芸術として当時の展覧会で評価されたことのみならず、屏風や建具に描かれた作品は屋敷や御殿を飾る装飾美術としても認められていました。特に秀畝は徹底した写生に基づく描写に、新派の画家たちが取り組んだ空気感の表現なども取り入れ、伝統に固執しない日本画表現を見せています。
生誕150年にあたり、秀畝の人生と代表作をたどり、画歴の検証を行うと共に、あらたなる視点で「旧派」と呼ばれた画家にスポットを当てるものです。