北方文化博物館は、新潟の大地主・伊藤家の旧大邸宅や庭園、美術工芸品や考古資料を保存、公開するため昭和21(1946)年に開館しました。戦後初の私立博物館であり、新潟市江南区沢海に8800坪の敷地を有する本館は、新潟の歴史を伝える名所として知られています。
一方、新潟市の中心部、中央区南浜通にある北方文化博物館新潟分館は大正時代初期に伊藤家が取得した別邸です。日本家屋と洋館、回遊式庭園を併せ持つ屋敷の洋館部分に、會津八一は、昭和21年から没する昭和31(1956)年11月まで居住しています。この洋館は、「南浜・秋艸堂」と呼ばれ、終の棲家となりました。
長年、早稲田大学で教壇に立っていた八一は戦後、夕刊新潟社社長となり、学識を生かして、新聞紙上で健筆を振るいます。さらに「文化史談会」なる勉強会を組織して南浜・秋艸堂で定期的に講演会を開催するなど、地方文化の牽引役として活動しています。また、自らの全歌集編纂や書作に励むなど、多くの作品を残しました。
本展では北方文化博物館が所蔵する會津八一関連作品を中心に、ゆかりの資料を紹介します。また、昭和25(1950)年に北方文化博物館が主催し、八一も顧問として関わった戦後初の大規模な良寛展に出品された北方文化博物館所蔵の六曲一双屏風も展示します。