ちょうどこれを書いている3月の末、街中を歩いていると桜がもりもりと咲き競っていて、いつもよくすれ違っていた木々に、いやあなた桜やったんですかと面食らうことがままある。種類によっては既に花びらを散らしはじめているのもあって、銘々に伸びる枝先の範囲を示すように円環状に白の花びらが地面に張り付いていてあっとなる。あの爛漫といった面影はないものの、確かにあった形が地面に写しとられたようなその領域は、花を落としてもなお自分の咲いた領分に気配を宿らせているようで、勝手ながら崇高なシーンと思っている。そんなふうに期間限定で見せてくれるきらめきでいえば、地面に落ちた白木蓮の肉厚な花びらなんかもそうだ。踏まれたり圧がかかったところだけが茶色に変色しており、突如似合わない人工的な斑点模様を呈していて少しギョッとさせられるものの、そこから靴底の模様やそれを履いていた人の足どりが想像される。
毛髪をはじめ生活の端々のごみを使って作品を作ることは、そういう瞬間のきらめきに似たものをより近くで見たいがためにしている事なのかもと思っている。水分を失って変色し、風に伴って砂利と一緒に路傍に吸い込まれてゆく桜の花弁と、自分の皮膚から抜け落ちて床に落ちている毛髪。自分の生活ひいては命の痕跡をなぞり確かめる感触は、桜と違って私にとっては卑近で厭わしくもより実感が湧くもので、さらにそれがちょっと別の顔を見せた時に、可能世界が延長したような気がするのだ。