棟方志功は1957年、四季とりどりの富士山や相模湾を望む鎌倉市鎌倉山に、別荘兼アトリエ「雑華山房」を構えました。1955年、56年の国際展での輝かしい受賞や、挿絵と装幀を担当した谷崎潤一郎の小説『鍵』の大ヒットなどで一躍時の人となった棟方は、作品の注文や来客が絶えず、多忙を極めていました。そうした喧騒から離れ、制作のための時間と落ち着いた環境を確保できる場が、広いアトリエと庭を備えた鎌倉山の雑華山房でした。1970年頃には制作だけでなく生活の拠点も東京の自宅からここに移しました。
人気も評判も絶頂を迎えた棟方は、1960年代には公共施設へ提供する板壁画の制作という新たな取り組みにも挑戦します。特筆すべきは、青森県庁正面玄関を飾る1961年の《花矢の柵》と、倉敷国際ホテルロビーを飾る1963年の《大世界の柵》。それぞれ横幅約7m、約13mの大画面です。雑華山房の広い芝生の庭はこれらの制作に非常に有用で、使用する全ての板木を一度に並べることができ、そこに直接墨で下絵を描くという方法で制作されました。後に、この庭の部分には長年の夢であった自身の美術館「棟方板画美術館」を建設、1974年71歳の誕生日に開館しました。
こうした大作に挑むなどめざましい活躍を続ける一方、自宅から見える富士山や庭に咲いたヒマワリ、それらを背景にした自画像など、自身の周辺を題材にした小品を多く描くようにもなりました。1963年には還暦を迎え、その後病も経験したことで、原点に立ち返るとともにこれまでの自己を顧みる時間も大切にしていたのかもしれません。そんな雑華山房での棟方の日々を、そこで制作した勢い溢れる作品や、穏やかな日常の一場面を切り取った写真などを通して追想します。