土橋醇は1909(明治42)年8月17日、日本画家土橋三郎の長男として東京小石川に生まれました。本名醇一。父三郎は華城と号し東京美術学校日本画科を1911(明治44)年に首席で卒業していました。しかし華城はその翌年に28歳の若さで没してしまい、土橋は父の生まれ故郷である安積郡湖南町赤津(現在の郡山市湖南町赤津)へ転居します。そこで少年時代を過ごし、東京美術学校油画科卒業後はパリへ赴くも、第二次世界大戦勃発によりあえなく帰国。戦後再渡仏し、1950年代に藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと交流しながら、アンフォルメル運動などの影響を受けます。以降、実景をもとにした抒情的抽象ともいうべき画風で、土橋はパリを拠点に、ドイツなどで個展を開催して高い評価を得ました。
1973(昭和48)年に帰国し、郡山市湖南町赤津に自らの設計でアトリエ「愚魚庵」を建てるも、翌年10月30日に同地で69歳で没します。
この展覧会では、土橋醇の作品約100点を展示することによって、戦後の前衛美術を牽引した彼の画業を初めて明らかにします。そして名前しか知られていなかった夭折の日本画家であり、土橋の父である土橋華城の作品も初公開します。