■画は固生物である 里見勝蔵
…当時の画家で、外国で描いて来た画は面白いが、日本で描いた画は、一向見映えがしないのが多かった。人はそれを―メッキがはげた―といった。
日本で描いた作品が、外国で描いたものよりいいという画家は、誠に稀であった。僕にはその転換が、比較的よく出来たと思っている。
風景画家といわれた、ヴラマンクに師事して、僕はフランスで風景を描いたのだが、あの手法で日本の風景を描きこなす事が出来なかった。それでヴラマンクの色調から離れて、原色調で人物と静物を描く事によって、ヴラマンクの影響から逃れ、独自の表現を次第に構成する事が出来た。
そして1954年から58年まで、再度の渡欧で、80才の老師に再会し、改めて風景を研究し、僕の風景が出来るまでに10年を要した訳である。
それでつくづくと思う事は、人はよき友をもち、偉大な人に接し、よき事を多く学び、それをよく消化する事によって個性が養われるのだ。しかも、受けた影響が大きければ大きい程、学びが多ければ多い程、大きな個性を養う事が出来るのである。…『里見勝蔵第一回自選展』(日本橋三越、1968年)図録より。