矩形の布を縫い合わせた家の中に、矩形の布を縫い合わせたシャツを置く。モザイクをも想わせる2つの作品がどう響き合うか、興味があった。
両作品に込められた意図には相違がある。西尾美也の「人間の家」は内部に足を踏み入れることが重要だ。見上げる天井は陽光を透かして明るく、壁は風を受けて静かにはためく。心地よい空間が、家とはなにか、と思索へ誘う。
岡本光博の「服飾個人史1~岡本家」は衣服のブランドを示す布タグをつなぎ合わせる。鑑賞者にとって着用は可能性に過ぎない。小さなタグが映すメーカーと消費者の思惑を推し量り、それらを1着にまとめた批評性を楽しむ。
家と服は、ともに身体を守る機能をもつ。服は寒さを和らげ、体が傷つくのを防ぐ。家もまた風雨や暑さ寒さから人間を守る。
すなわち家や服は外界から隔離するための装置でもある。物理的な状態にとどまらない。高級ブランドの服、高い塀に囲まれた邸宅を想像してみよう。外と内、自己と他者を社会的な意味でも遮断するような。
感染症の爆発的な拡大によって、世界は隔離の必要に迫られた。患者や外来者を身体的に遠ざけた。それにとどまらず、貧富や階層の裂け目が広がった。
再び結び合うことができるだろうか。岡本がユーロコインの中央を抜いて指輪に仕立てたように。西尾が手製の更衣室を街頭へ持ち出して衣服の交換を促したように。そして2人が、由来を異にする矩形の布同士を縫い合わせたように。(フリーライター/インデペンデントキュレーター 深萱真穂)