◎幕末から明治初めにはやった生人形の迫真の技は、当時の日本人はもとより、来日した西洋人にも大きな衝撃を与えました。明治二十年代に滞日した人類学者C.H.シュトラッツは「解剖学の知識もなしに強い迫真性をもって模写することもできる」生人形師の力量に感嘆しました。また、彼は、生人形が理想化も図式化もされず、ありのままの姿であることにも着目しています。◎高村光雲も幼い時に松本喜三郎の生人形の見世物を見ています。後年、彼は西洋由来ではない写実を気付かせた存在として、松本喜三郎をはじめとする生人形師を敬慕しています。◎ここで重要なのは、写実表現はそもそもこの国にあったということです。江戸期の自在置物や鋳金は高い技術により、対象を精巧に再現しています。写実は洋の東西を問わず追求されてきたと見るべきでしょう。ただし、西洋の文化受容により新たに「美術」という言葉が生まれると生人形や置物は、その定義から外され、長く美術史の表舞台からは姿を消すことになります。しかし、対象を生きているように、あるいは寸分たがわず写し取りたいという意欲は存続しました。それは、細部への過剰なこだわりや「もの」に命が宿るという非西洋的なアニミズムも大きく作用していると思われます。このような心情が根底にあり、その表現方法として新たに西洋由来の写実技法が加わったとみることができます。これは既存の写実の方法や感性を上書きする、もしくは書き替える作業であったことと思われます。◎今また写実ブームが到来しています。現代の作家も対象に没入することにより生々しさを帯びた作品を生み出しています。そこには先祖返り的な要素も見受けられます。これは旧来の伝統的な写実が息づいている証です。連綿と続く写実の流れが、いわば間歇泉の様に、息吹となって彼らの作品を介して噴出しているのです。また、彼らの作品の中には近代的なもの土着的なものが拮抗し、新たな写実を模索している姿勢も見出せます。このような傾向は、高橋由一まで遡ることができます。◎本展は、松本喜三郎らの生人形、高橋由一の油彩画、明治期の金工作品を導入部して、現代の絵画と彫刻における写実表現を検証するものです。西洋の文脈のみではとらえきれない日本の「写実」が如何なるものなのか、またどのように生まれたのか、その手がかりを探ります。◎出品作家:【彫刻】松本喜三郎、安本亀八、室江吉兵衛、室江宗智、高村光雲、関義平、須賀松園(初代)、平櫛田中、佐藤洋二、前原冬樹、若宮隆志、小谷元彦、橋本雅也、満田晴穂、中谷ミチコ、本郷真也、上原浩子、七搦綾乃 【絵画】高橋由一、本田健、深堀隆介、水野暁、安藤正子、秋山泉、牧田愛、横山奈美