矢部友衛は、大正から昭和にかけて前衛美術の旗手として活動し、戦後はプロレタリア美術を代表する画家として、労働者や身近な風景を多く描いた洋画家です。
1918年に東京美術学校を卒業後渡米、翌年フランスへ渡り、モーリス・ドニに学びました。帰国後、立体派の影響を受けた作品を二科展に発表し、前衛美術団体「アクション」に参加します。その後、新ロシア美術展の参画を機にプロレタリア美術に傾倒しました。
1944年、矢部は疎開のため湯河原に転居し、近隣住民の肖像画や湯河原近郊の風景など数多くの作品を残しています。また、当時湯河原近郊に滞在していた安井曾太郎や中川一政らとともに、湯河原美術協会の創立に関わるなど地域の芸術活動にも影響を与えました。
2000年に矢部の遺族から約170点の作品が当館に寄贈されましたが、その多くは習作で、一部の作品を修復した以外は、館内で資料として保管をしていました。その後、吉備国際大学文化財総合研究センターの研究資料として修復の協力をいただけることになり、順次修復を行ってきたものです。
このたび、修復が完了した未発表作品を公開するとともに、絵画修復の現状や技術を紹介する展覧会を開催します。