「片山健の油絵を、ならべてゆっくりと見てみたい」という衝動は、確かにだいぶ前からあったような気がする。なぜか?私はここ30年間くらいの片山健の展覧会は、ことごとく行っているはず。でもその個々の会場での私は、うまく絵と向き合っていなかったような気がする。「片山健の絵!」という高揚感が、展覧会場にいる私にまとわりついて、ひとりで勝手にお祭りをしていたのだ。ただただ高揚していただけ。も一度ちゃんと見てみたい。片山健の描く子どもは、どうしてあんなに恍惚としてザリガニや貝を抱くのだろう、ただ線を引くこと自体がどうしてあんなにおもしろくかっこいいの、どうして両手のあいだに川があるの、鮫の影で眠るのはそんなに気持ちがいいのかな、デカパンを履いた子どもが愛おしい。眺めていると、私のなかのどこかにあるユーモアという感覚が蘇ってくる。これがうれしい。それは、きっと人がこの世に生まれたとき、なにがうれしいのかわからないけど、にかっと笑って見せる、あのなにかじゃないかと思ったりする。片山健という作家は、そのなにかに近づこうとした作家ではないかな、と。この作家の絵、とりわけ油絵をならべて見てみたいという衝動がずっとつづいている。
土井章史(どい・あきふみ/本展監修者)