一針一針縫っていくと自分の中の心情も刻み込める気がしている。
古来より縫い目には呪力がやどると信じられてきたのだから、私のやっている縫製や刺繍などの装飾の作業は儀式に近いのかもしれない。
遺したいという気持ちでひたすら針を刺す。糸を重ねる。
自分の周りには物が溢れており、街の風景は変わり、SNS上では様々な情報が飽和している。
取捨選択をして生きているのだが、捨てられていくものはいつまで私の中で生きているのだろうか。
先人たちが祈りを込めながら縫ってきたように、現代に生きる私が忘れていくには口惜しいと感じるものを現在に縫い刻み、遺していきたいと思う。