「はためく絵画」
川口洋子の絵画は、風に揺らぐ旗を見るようだ。川口は2015年の個展で「旗」の絵画《 untitled (hata-1) 》とその作品を屋外に立て掛けた様子を記録した映像作品を発表しているが、これは川口の絵画観の現れである。なぜなら、自然や気象の変幻変化を受け入れながら、その姿形や見え方を変え、風にはためき浮遊する旗は、川口の後の「絵画」のあり方を示しているように思えるからだ。
川口の絵画の特徴は、支持体となるパネルの木目やキャンバス地を残した画面に色斑のある色彩が散りばめられた画面である。建物や山などの形状から風景と認識できるものもあれば、何かの残像や描きかけの図像のように見える抽象画もある。その画面からは、サイ・トゥオンブリーや李禹煥の油彩《風より》《風と共に》、村上華岳の晩年の水墨画を想起する筆触と余白の響き合いを感じる。
では、川口は何を描いているのか。作家の初期のテキストによれば「キャンバス自体から見えた色形を拾い上げてなぞり描く」のだという。この言葉から水玉や網目が見える幻視体験をもとに制作する草間彌生や神秘主義に傾倒したヒルマ・アフ・クリントなどを想起するかもしれない。
川口はその後、支持体や画材にビニール袋や身の回りの品々を用いたコラージュのような「絵画」、眼を閉じて周囲の音を色で描く「音ドローイング」、タブレットによるデジタルペインティング、スピッツの楽曲をもとにした映像、厚紙や素麺のフタなどの支持体に落ちた影を描く「落ちたかげをなぞる」などさまざまな素材や感覚、場所と関係が相互作用しあう絵画を探究してきた。
これら川口の多彩な仕事は、はためく旗の揺れのように、見過ごしてしまいそうな小さな物や現象、感覚など、日常のふとした「今」に行為と注意が向けられている。つまり、川口の作品は、キャンバスやパネルなどの支持体が置かれている周囲の環境、制作中に感受した現象や感覚、記憶や連想などの揺れを画面に反映したライブな出来事なのだ。録画や録音などデータ配信が主流となった現代において、経験はオリジナルである。実際の絵画を見ることでしか現れない感覚がある。今、絵画は鑑賞者の何を揺さぶるだろうか。
平田剛志(美術批評)