私は自然光のもとで絵を描く。
色を見つけるには、人工の強い光ではなく、柔らかく隅々まで照らしてくれる太陽の光が必要だからだ。
強い光のもとでは、あらゆるものが明るみになる。と同時に、影になって見えなくなるものもある。
社会の仕組みの中で見えなくなってしまっているもの、我々が見て見ぬふりをしてきたもの。
人工的な強い光は影も生んできた。
自然の光の下では、移ろいや機微を捉える曖昧な眼を自分の中に感じる。
曖昧さは時に欠点なのだが、
強い光では見えない多様で深層的な光を感じることができる力とも捉えている。
例えば、生きていることを感じる光。
戦時を生き残り、彫刻家として生き抜いた父が数年前に死を迎えた時に放った光は強烈であったし、
このパンデミックで世界には一様に生きようとする光が放たれていた。
そして日本文化が作り出した「女性らしさ」に抑圧されながらも制作した作家たちの作品の力強い光。
そうした光を見つけ、受け止め、その光のもとに見えてくる多彩な色を「生きている色」として描く。
その光に色を見る。
現代美術の祭典『瀬戸内国際芸術祭』と『岡山芸術交流』が開催されるこの秋、高梁市成羽美術館では「流 麻二果 その光に色を見る Spectrum of Vivid Moments」を開催します。「色彩の画家」と呼ばれる流 麻二果は、美術館やギャラリーでの作品発表のみならず、建築空間での色彩設計やインスタレーションなど、多彩な仕事で国際的に活躍する現代アーティストです。
この度の展観では、色彩画家として光溢れ色が幾重にも塗り重ねられた躍動的な作品や、遥か彼方に思いを馳せるような静寂な作品などに加えて、過去に画家を目指しながら女性であることから制作を諦めたり、今ではほとんど無名に近い女性作家の作品をモチーフにして、その色彩を再構成して新たな息吹を吹き込んだ新作「女性作家の色の跡」をご覧いただきます。