五十嵐彰雄、井田彪、栩山孝、三人が各会場で自由気ままに浮遊する創造空間と鑑賞者のイマジネーションとが触れあい、共振し、新たな空間が開ける・・・。
そんな“場”を体感して頂ければと願っています。
五十嵐彰雄
最近、キャンバスに何度も色を塗り重ね、その層を削り取っている。ふり返れば1970年に始めた鉛筆によるドローイング、その後のホワイトペインティング、そして現在の削る仕事と、私の絵画は描くことと消すことのくり返しであった。正直に言えばほとんど意味をもたない作業のくり返しに絵画の可能性を探していたともいえる。キャンバスの表面を削るという行為は、絵を描くために用意された画布の使命を奪うことでもある。サンドぺーパーで削るとき、私はその中に立つ。キャンバスの表面は地面の凸凹を拾い、私の手に振動として伝わる。生地を露出したキャンバスはその平面性と布としての物質性を露わにする。私が関わる連続した時間の中で、画布の表面は生成と消滅をくり返す。そこから生じた画布上の痕跡が私の絵画を作り上げる。
井田彪
「生きられる空間」と「生きられる時間」の創出を「空間」と「時間」のなかで私たちの生活はいとなまれている。そして私たちが暮らし、生活する私たちに、現存在ある「いま、ここ」を実感させてくれます。またそれらは時として私たちに内から湧きおこる生命のエネルギーをも実感させてくれます。
この生を実感させ、実感できる「空間」と「時間」は,言い換えれば「生きられる空間」であり「生きられる時間」であるのでは、と考えております。
これまで自然界の万有の動の始原のひとつであり、他のものをも合成や分解や増大や生成や消滅させ変容させる「空気」。「空気」すなわち「空間」を視覚化し、顕現化させることが造形活動の意味の一つであります。それは他者とともに生きる共同性であり、生きる身体性を鮮明にしてくれます。そして自在に私たちに「生きられる空間」、「生きられる時間」を創出させ、想像力へとかきたててくれる原動力なのではと・・・。
栩山孝
制作において、いつも考えることは物事の狭間「間」の存在で、それぞれ形を変えながらも常に意識の中にあります。人間、時間空間、それぞれ文字の中に間という文字があります。
が、とても日本の言葉らしいと思います。空(くう)と空(くう)の間には計り知れない奥深さを感じます。
そんな意識の空間に一石を投じる展覧会が出来ることを夢見ています。