『月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり』の名文で始まる松尾芭蕉の「奥の細道」は奥羽・北陸を旅したときの紀行文で芭蕉の代表作として広く知られています。
芭蕉が「奥の細道」の旅に門弟の曽良(そら)1名を供にして深川を出立したのは、今から333年前の元禄2年(1689)3月27日のことで、このとき芭蕉は46歳でした。江戸から白河の関を越えて、奥羽の地に踏み入り、松島を訪ねて称賛し、山寺、羽黒山を越えて象潟(きさがた)まで北上し、ここから日本海沿いに北陸路を南下して敦賀に至り、9月初頃に大垣に到着して旅は終りますが、この間およそ160日、行程600里(約2,340km)という長旅でした。芭蕉らは大垣で休む間もなく、9月6日に伊勢の御遷宮参拝のために舟にのり、『蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ』の句で、この紀行文は終結します。芭蕉はこの5年後の元禄7年(1694)に51歳で大坂で死去いたしました。
作者の荻原井泉水は一高在学中より正岡子規に師事して俳諧の道に進みましたが、その研究の中で松尾芭蕉の「奥の細道」の名文・名句に魅せられ、その足跡をたびたび訪ねた一人です。井泉水は書でも一家をなし、晩年に俳画を描き始めましたが、昭和44年頃当館創設者の故・敦井榮吉がこれに着目して「奥の細道」全編の俳画揮毫を依頼いたしました。井泉水はこれに応えて一年余りを費やし、奥の細道の主要場面を描いて本文を書き添え、さらに自身の「余情」や「連意」の句も添え書きして「奥の細道俳画」50幅の労作が完成いたしました。このとき井泉水は86歳でした。
本展では重複する場面の5幅を除き、45幅を展示いたしましたので、芭蕉の「奥の細道」の全容を知ることができます。どうぞごゆっくりとご鑑賞下さい。