他者としての衣服、その存在
白い紙に黒色で刷られた衣服。ブラウスやジーンズのパンツ、ワンピースなどさまざまだ。1枚1枚ハンガーに掛けられ、ゆらゆらと揺れる。これはリトグラフという技法で版画になった衣服たち。古屋真美は、自分の服を版画にする。時にその版画は身につけることもできるかたちにつくられ、服が描画されたアルミ板の版そのものが展示されることもある。
古屋にとって衣服とは、一番近い他者であるという。自分の所有物でありながら、分かり切ることはできない他者。自分と同じ体験を共有していながら、分身ではない存在。自分の肌のすぐ上にある“ほぼ自分”であるが、衣服は自分に寄り添い、ともに外の世界と対峙してくれる存在だと言えるだろう。
そんな衣服を作品にするにあたり、古屋は絵画ではなく版画を選択する。版画の中でもリトグラフは、アルミ板に描画した線を化学反応によって版にし、紙に刷り取る。この工程を経ることで、手で直接描画する絵画よりも、対象と作家との距離は広がる。その時、紙という別の素材の上に成り立った衣服は、作家の折々の思いや心に留めたことが刷り込まれた記憶装置と言えるものになるのではないだろうか。
白と黒で描かれたその服は、色のなさゆえに鑑賞者の記憶をも受け入れる。私たちはどんな服を着て、どんな思いを持って、どんな人と関わって来たのか、そしてこれから関わっていくのか。衣服という隣人をとおし、自分と人との距離に思いを巡らすことになる。 (山梨県立美術館学芸員 太田智子)