栃木県小山市出身で版画家として活躍した小口一郎(こぐち・いちろう、1914-1979)の全貌を、そのライフワークとなった足尾鉱毒事件を主題とした作品を中心に紹介します。幼少期より絵画に秀でた才能を示した小口一郎は、1946年に鈴木賢二らが結成した日本美術会の北関東支部の活動に参加し、本格的に木版画を手がけるようになると同時に、仲間たちとともに、絵画教室での指導やサークル活動に熱心に取り組んでいきました。その一方で、やがて足尾鉱毒事件と田中正造のことを知って大きな衝撃を受け、広く世に伝える方法を模索し始めます。まずは、足尾銅山の鉱毒被害に苦悩する旧谷中村の農民たちと田中正造のこと、次に、厳寒の佐呂間へ移住した人々の生活と帰郷への思い、そして最後に、足尾銅山の坑夫たちの労働問題を取り上げ、それぞれ連作版画《野に叫ぶ人々》(1969年)、《鉱毒に追われて》(1974年)、《盤圧に耐えて》(1976年)の3部作にまとめ上げました。これらは小口一郎の代表作として、今なお、高い評価を得ています。
《鉱毒に追われて》に描かれたように、明治期、鉱毒被害に遭った旧谷中村や渡良瀬川流域の農民たちは、北海道開拓移民として佐呂間の原野にわたり、「栃木集落」を形成しました。その後、歳月を経て、彼らが栃木県への帰郷を果たしたのは、1972年のことです。このとき、小口一郎が自ら帰郷運動の世話役を務め、当時の栃木県知事が受け入れを表明したことで、ようやく実現にいたりました。すなわち、2022年は、栃木県立美術館の開館50周年であると同時に、「もう一つの栃木」から帰郷して50年の節目の年にあたります。開館50周年を記念して企画される本展は、小口一郎研究会の全面的な協力を得て、初めて連作版画《野に叫ぶ人々》、《鉱毒に追われて》、《盤圧に耐えて》の全点を一堂に展観するものです。あわせて油彩画や版画作品なども紹介し、約300点で知られざる美術家、小口一郎の生涯を回顧します。