住吉広行(すみよしひろゆき)(宝暦5~文化8/1755~1811)は、住吉家の五代目当主として活躍した絵師です。住吉家当主は、江戸時代前期に活躍した初代の如慶(じょけい)、二代目の具慶(ぐけい)以降はあまり注目されてきませんでしたが、具慶以降も代々幕府の御絵師(御用絵師)を務めており、特に五代目の広行は、将軍家斉(いえなり)のもとで老中首座・将軍補佐を務めた松平定信(まつだいらさだのぶ)に重用され、様々な重要な文化事業に携わりました。寛政度の内裏造営では、最も格の高い紫宸殿の「賢聖障子(けんじょうのしょうじ)」の制作を、急逝した狩野家のトップの狩野典信(かのうみちのぶ)に代わって広行が行い、名実ともにやまと絵界の頂点に立つことになります。
広行は、有職故実(ゆうそくこじつ)や古画の知識を様々な絵画制作に活かし、復古的な画題を手掛けたり、古画の図様を積極的に取り入れたり、豊麗なやまと絵の彩色を極めたりしています。18世紀後期から19世紀前期にかけて活躍する復古やまと絵派や江戸琳派の絵師たちにも類似した傾向が見られ、広行の画業は、江戸時代後期のやまと絵の新しい方向性を先導するものとして注目されます。
本展は、住吉広行を中心に取りあげるはじめての展覧会になります。広行が如慶・具慶の伝統をどのように引き継ぎ、新しい時代の要請にどのように応え、やまと絵の地平をどのように切り拓いていったのか、その画業を明らかにします。(担当 宮崎もも)