棟方志功の風景画は、筆で描く倭画や油絵でその多くが生み出されました。幼い頃からの弱視でしたが、だからこそ全体の印象を掴み特徴を捉えることに長けていたのでしょう。捉えた風景を逃がさないよう一気呵成に描き上げる自由闊達な筆遣いが特徴です。評価対象となる本業の板画では、弱視ゆえ目を土台としての仕事はできない、絵は絵空事で立派なものを改めて生むから絵であるという想いを強め、ごく初期の作品を除き写生に頼らない絵づくりをしてきました。しかし還暦を迎える年に棟方は新たな挑戦をします。
「東海道棟方板画は、板画と景色とに通ふ、人間性を、観じたく成しましたものです。わたくしの板画で景色を主に扱ひ、纏ったものとしては、これが初めてであります。」(『東海道棟方板画』1964年)
1963年4月~1964年2月、駿河銀行から依頼を受けた棟方は、東海道五十三次の現代風景を板画にすべく計7回の写生旅行を行いました。自らの眼の代わりとなる双眼鏡でピントを合わせ、板画にする風景を何枚も何枚も写生していきます。「一本の木、一つの草、山のかたまりと水の流れ、あるいは雨になり雪になり、霞になり、霧になり、といったこうした天地がもつ組織体のすべてをも板画の中に封じこめようと努めた。」(『国際写真情報』1964年)と話すように、その土地々々の実感を込めて風景を彫るには、肌で感じたものを記憶に留める写生という行為が必要だったのでしょう。単に風景を切り取るのではなく、テレビ塔やビニールハウス、草野球など“人間の暮らし”を土台に棟方なりの現代の東海道を描きました。こうして1970年には《西海道棟方板画》を皮切りに、写生旅行を元にした「海道シリーズ」も誕生しています。
秋の展示では、このように写生を元にした風景のほか、画架を立てて風景を前に描いた油絵、故郷青森を根底に数多く描いた心象風景や、旅先で印象に残った風景、好んだ風景など、棟方がおどろき、よろこび、かなしみ、発見した日本の風景をご紹介します。