日本近代デザインの黎明期を切り拓いたデザイナー・原弘(はら・ひろむ 一九〇三-一九八六)。原の仕事は戦後に手がけた多くのブックデザインやポスターの仕事によって広く知られています。また、その旺盛なデザイン実践のみならず、日本宣伝美術会の創設や本学産業デザイン学科商業デザイン専攻(現・造形学部視覚伝達デザイン学科)の主任教授として後進の指導にあたるなど、戦後の日本デザイン界を牽引するオーガナイザー・教育者として活躍しました。●いっぽうで、若かりし頃の原弘が、海外のアヴァンギャルド芸術の影響を受けた新興美術運動に身を投じたことはあまり知られていません。一九二五年の「三科」第二回展への出品を皮切りに、同年に結成された「造形」や同団体が改組した「造形美術家協会」に参加した原は、岡本唐貴や矢部友衛ら旧「アクション」、「三科」のメンバーと肩を並べて活動し、運動に深く関与しました。しかし、この頃から海外の雑誌や書籍を通じて、ロシア構成主義のエル・リシツキーや、ドイツのニュー・タイポグラフィの理論を摂取していた原は、美術団体に身を置きながらも油彩は描かず、印刷・宣伝を専門とする立場から石版ポスターの発表を続けました。原は後年、「造形」時代の活動を回顧し、「自分のめざすコミュニケーションの手段が、こうした組織の中では実現できないことを知って、いつのまにか脱落していった」と述べています。●このような、一九二〇年代の経験を通して培われた原の理論は、一九三〇年代以降、自身が創設に関わった諸団体で実践に移されていきます。写真を主体とするグラフ誌など「新しい視覚的形成技術」の確立を目指したその活動は、日本の近代デザイン史の歩みそのものであったといっても過言ではありません。●本展では、特種東海製紙株式会社の原弘アーカイヴ並びに当館の所蔵資料から、一九二〇年代より四〇年代にかけての原の作品を紹介します。また、「造形」をはじめとする新興美術運動の資料や未公開の原稿・版下類をあわせて展観し、原弘のデザインワークに通底する造型思考の検証を試みます。