精道村が誕生したのが、今から120年前の明治時代のことです。それ以前は、芦屋村・打出村・三条村・津知村の4つの村で構成されていました。
精道村は、国鉄(現JR)・阪神・阪急そして阪神国道電車などの交通機関の発達に伴って住宅地として開発が進められ、昭和に入って生活環境の整備もされてきました。
そして、精道村の人々の長年の望みであった市制の実施は、昭和15年に実現し芦屋市が誕生しました。
戦後には「国際文化住宅都市建設法案」が国会で可決され、新たな街がづくりが始まりました。
昭和24年に芦屋市で作成された観光計画図には、東海道線芦屋駅の南側から放射状に街がつくられ、公共機関が置かれ、周辺に環境施設、娯楽施設なとが整えられています。
芦屋の浜では水族館、潮湯、プール、クラブハウス、ヨットハーバーなどがみられます。また、城山とロックガーデンをロープウェーで結ぶ計画もみられます。この計画図から、壮大なまちづくりが感じられますが、むかしの人たちがつくりあげた芦屋のまちを良くしようとする意気ごみが伝わってくるようです。
今回の展示では、精道村誕生から芦屋市誕生までを、写真や当時の新聞記事から、人びとの暮らしとまちづくりを再考しようと企画しました。単なる懐古的な写真展示で終わることなく、どのような経過の下で、芦屋の原風景が変わっていったのかを考える展示にしたいと思います。