光の饗宴
17世紀フランドル地方で生まれた静物画は、専ら奴隷貿易で巨万の富を得た豪商らに愛された。
贅沢な食卓は富と力の誇示だが、それと同時にそこに一匹の蝿が描き込まれ、
やがて訪れる滅びと死も暗示された。他方、画家にとってそれは、レンズにより
格段に明るくなったカメラ・オブスクラの映像を画布上に定着する、超絶技巧の場であった。
光を描画した彼らは、まさしく光画=写真を撮っていた。
麥生田兵吾の写真もまた、光を捉えることに忠実である。
闇の中へ一点、一条、一面の光をあて様々な光る表面を作り出し、
それらが作り出す空間の中に、ピントの面を差し入れる。
写真とは、絵画とは、輝く映像に満たされた空間を1つの面ですくい取ることだ、と。
本展の杉田一弥作品には、顔のような花(ダリア!)が画面の中心をなす作品と、顔なしの平面的な作品の二極が見られる。
時が止まった静物画の世界が人間の業に裏打ちされていたように、
両極のあいだで展開される花の世界も人間臭いものを隠している。
清水 穣(美術評論家)