ちひろは若いころから映画と音楽に親しんでいました。本展ではちひろが好きだった映画や音楽とともに1960年代後半の絵本表現との関わりを読み解きます。
映画と音楽への憧れ
大正生まれのちひろの家には、当時珍しかったラジオや蓄音機、オルガンがありました。娘時代は映画「オーケストラの少女」の女優ディアナ・ダーヴィンに憧れ、主人公が着ていた洋服を真似て、ワンピースを手づくりしています。都会的な家庭で育ったちひろには、外国の映画や音楽に親しむ素地がつくられていました。
1946年5月、絵で身を立てることを決意したちひろは、疎開先から上京し、戦争の名残が色濃く残る神田で生活を始めます。叔母の家の屋根裏に間借りし、芸術学校に通いながら、新聞記者の仕事をして暮らしていました。アメリカの映画俳優・歌手でタップダンスの名手でもあるフレッド・アステアの大ファンだったちひろは、このころ自宅で毎日のように彼のレコードを聞いていました。忙しい生活のなかで心が沈むとき、アステアはちひろの心の支えになっていました。
新聞記者として書いた記事のなかで、ちひろは、ミシンを扱う手を「美しい指の踊り」と表現しています。ミシンの音とそれを操る手の動きに、リズミカルにタップを踏み、華麗に舞い踊るアステアのイメージを重ねていたのかもしれません。映画と音楽がちひろの感性に深く結びついていたことが推察されます。
このほかにも、クラシック音楽やジャズ、ロシア民謡を口ずさんでいたというちひろにとって、音楽は常に生活のなかにありました。映画と音楽への憧れは時を経ても色あせず、ちひろの心に残り続けました。
映画と音楽を絵本にする
やがて子どもの本の世界で活躍するようになったちひろは、1960年代半ばから絵本の仕事を多く手掛け、1960年代後半には、映画や音楽の絵本化に取り組みました。
アンデルセン原作の「あかいくつ」は、ちひろが繰り返し描いてきた物語ですが、1968年に手がけた絵本には映画「赤い靴」(1950)のバレエのシーンの影響が見られます。丸く広がるスカートはバレエのターンを連想させ、俯瞰の構図で捉えることで、一層動きが際立っています。
ウェーバーのピアノ曲「舞踏への勧誘」を絵本にした『ふたりのぶとうかい』は、盛り上がる曲調では鮮やかな大輪のバラを描き、細やかなリズムは小花を散らすなど、音楽のメロディーやハーモニーを絵本で表現しました。
新しい絵本づくり
1968年、絵本でなければできないことを目指し、ちひろは編集者とともにストーリーを中心としない新たな絵本づくりに挑戦します。「雨の日」「留守番」というイメージをことばに頼らず、絵本で表現するにあたり、偶然テレビで見た映画「しのび泣き」(1949)の雨のシーンにちひろと編集者はヒントを得ます。男女の悲恋を描いたこの映画では、最小限の説明と詩情に富んだ台詞や画面が深い余韻を残します。ちひろは、絵本『あめのひのおるすばん』で留守番の最中に期待と不安が入り混じる少女の心情を、最小限のことばと淡く溶け合う色合いで表現し、絵で展開する絵本をつくりました。
1960年代後半に集中して行われた映画や音楽を絵本化する試みは、表現の幅を広げ、絵で展開する独自の絵本づくりにつながっていきました。ちひろが描いた映画と音楽の世界をお楽しみください。