この度、城西大学水田美術館におきまして「ふたつの東海道五十三次-山下清と葛飾北斎-」を開催する運びとなりました。
「東海道五十三次」とは、江戸時代に整備された五街道の一つとなる東海道の五十三の宿場を指します。享和2年(1802)に戯作者十返舎一九(じっぺんしゃいっく)により刊行された『浮世道中膝栗毛』は、主人公となる弥次喜多二人の東海道旅行での愚行・失敗を面白可笑しく描いた物語で、当時の旅行ブームとあいまって大いに好評を得て、その後も文政5年(1822)に完結を迎えるまで続編が出るほどの人気作となりました。以降、東海道を題材とした「東海道もの」は流行し、現代まで定着していくコンテンツであり続けています。本展では、江戸と現代、二つの時代に登場した「東海道五十三次」をテーマとした作品をご覧頂きます。
『浮世道中膝栗毛』から程なくして、世の時流を描く浮世絵においても「東海道」を取り扱った作例が数多く生み出されます。浮世絵で言えば、歌川広重(1797~1858)が天保4年(1833)に制作した出世作《東海道五拾三次之内》(保永堂版)が思い起こされますが、葛飾北斎(1760~1849)はこれより30年程前に、七種の「東海道五十三次」シリーズを発表しています。本展では、そのうちのひとつ、文化年間(1804~18)頃出版の《東海道五十三次・絵本驛路鈴(えほんえきみちのすず)》を、日本有数の浮世絵コレクター中右瑛氏のコレクションよりご紹介します。
そして、北斎からおよそ167年後、「放浪の画家」として知られる山下清も《東海道五十三次》を制作していました。山下清(1922~71)は、大正に生まれ、49歳でその生涯を閉じるまで、戦前・戦後、高度経済成長期という、激動の昭和期を駆け抜けた画家です。心の赴くままに旅をし、そこで出会った風景や人々を貼絵に表現した作品は、多くの人々の記憶に残っています。本展では、山下が晩年ライフワークとしていたものの、病のために最後の貼絵まで完成することが叶わなかった遺作《東海道五十三次》の版画を展示いたします。
気軽に旅行をするには憚られる世情ではありますが、本展を通して、葛飾北斎と山下清、江戸と現代の二人の画家が描いた「東海道五十三次」の世界を巡り、少しでも旅の気分を味わっていただけましたら幸いです。