ある講演会において、生野祥雲斎は、竹工芸の歴史について話しています。その中で、竹製品の古い例として、正倉院に収蔵される「華籠(けこ)」を取り上げ、仏教の儀式(散華)の際に、花を盛る浅い皿のような形のものだと説明します。祥雲斎は日本の竹工芸のルーツのひとつとして、日常的に使用される工芸品ではなく、宗教的な儀式に用いられる神聖な工芸品を考えていたのでしょう。
祥雲斎自身も、浅い皿の形状で花を盛るための「盛籃」を制作し、官展への出品を重ねます。官展の初入選作である《八稜櫛目編盛籃》(1940年)もその1つで、その後も《輪花永芳盛籃》《木瓜形菱花紋透盛籃》《時代竹編盛籃 心華賦》と入選を重ねます。このように1940年代の祥雲斎は、1ミリ単位で幅の異なる竹ひごを用い、菱紋や木瓜紋など伝統的に使用されてきた模様と独自の櫛目編みを用いることで、花を盛る用途を意識しつつ、籠自体も鑑賞対象となり得る点で日用からはなれた盛籃を制作します。戦後は、さらに自由に形状を発展させた盛籠や花籠を出品し、代表作《怒濤》の制作へとつなげていきました。
本展では、戦前に制作された盛籠から、戦後に制作されたさまざまな形態の盛籠や花籠まで幅広く展示します。祥雲斎の制作の歩みをお楽しみください。