俺が思ってる画っていうのは頭ん中にあって、つまりボディーがない。どういうかたちになってもいい自由なイメージの状態が画の正体で、だから画は誰にも見えない。それが頭の外に出て様々なかたちをとって現れたものが眼に見えるようになった画、つまりみんなが見てるのはそれだ。
「正体と画が一致することは稀だよ。本人にしたらずっと未完成なんだ」
未完成にしないと一致しねえっていうか……。
小林正人『この星の絵の具[中]ダーフハース通り52』 p.340
小林正人の絵は空間へ拡張し、空間が絵の中に入り込み、現実の光も想像の光も渾然となって誕生します。絵画の周りにある枠らしき木片は外に向かって飛び出ていたり、折れ曲がっていたり、キャンバスのかたちも形容できるものではありません。絵画は果たして完結しているのでしょうか?絵が現実の世界に依拠するものであれば、支持体の形や大きさに縛られることなく、どこまでも画であって良いはずです。その外枠を「この星の絵画」という感覚的なフレームによって切り取ることで、小林は画家が見ている世界に限りなく近く、鑑賞者が想像力を通して想起するそれぞれのイメージの世界を同時に実現させることを可能にします。
“この星”っていうのもこの質感をハッキリさせるための感覚のフレームなのかもしれない。画に額縁をつけて平らな壁からハッキリさせるように。
小林正人『この星の絵の具[中]ダーフハース通り52』 p.363
鼻に泥の様な絵の具の塊を付けて筆を咥えてる馬の肖像は画家の肖像画で俺には家族がいる 小林正人
今展では、筆を歯噛みし前面に飛び出してきそうな馬の肖像画に加え、モデルをモティーフにした新作を発表いたします。描かれたモデルはあたかもキャンバスの側面を掴み動き出しそうな様子であったり(この星のモデル(胸に傷がある女), 2021)、別の作品では走り去るモデルの痕跡が絵画を創出していたりと(ランニングマン, 2021)、描かれる対象の身体性が絵画の身体性を決定し、絵を支配しているのは画家ではなくモデルであるかのような関係性の逆転も感じられます。イメージは画布の上に定着せず、意味や概念のはるか先に存在しています。ここでもまた私達はこの星の鑑賞者として想像力の領域を刷新し、新しい各々のイメージを創造することになるでしょう。なお今展では現代芸術振興財団の協力を得て、六本木アートコンプレックスを繋ぐ「ペア作品分離展示=LOVE」のインスタレーションも展開いたします。どうぞご期待ください。
2021年7月 シュウゴアーツ