荻原守衛(1879~1910年)は、7年間にわたる海外生活のなかで、留学拠点を次のように変えています。
1901年3月~1903年9月 ニューヨーク
1903年10月~翌年5月 パリ
1904年6月~1906年9月 ニューヨーク
1906年10月~翌年12月 パリ
一度目のパリ留学の目的は絵画修行でしたが、ニューヨークへ帰る直前にロダンの《考える人》に出会い、彫刻家への転身を決意しました。
しかし、その後のニューヨーク時代に彫刻を制作した記録はなく、二度目のパリ留学から本格的に彫刻家としての活動が始まったと考えられています。この時期の修練は1年数カ月というわずかな期間でしたが、荻原は資質を開花させ《坑夫》を制作し、帰国後の傑作《北條虎吉像》《女》を生み出すに至りました。
このたびは荻原守衛の第2次パリ時代を、制作した彫刻、ロダンとの面会、友人との交遊、コレクション(写真と書籍)の4つのセクションに分けて紹介します。
※ホームページでは、展示作品及び展示資料の一部をご紹介しております。