富塚純光の住むグループホームの個室には、壁一面に奇妙なメモが貼ってある。母親の話によると、それは30歳ごろから描きはじめた彼の記憶のメモ絵であった。日常の出来事や遠い昔の思い出など、とにかく彼は憶えていることすべてを書かないと落ち着かないらしい。そして、日々描きつづけているこの膨大なメモ絵の中から1枚を取りはずして、月1回開かれる西宮市内の「すずかけ絵画クラブ」に来ては、大きな紙に描きなおしている。描き進めているうち、記憶はさらに詳細になっていき、猛烈なスピードで手を動かして画面を埋めてゆく。絵と文字は区別できないほどに渾然一体となり、文字の形は本人でも読めないほどになってしまう。隙間があることも気になるらしく、色の点描で埋めつくす。この描き方は彼自身が編み出した方法で、26年変わっていない。
16、7年前に面白いことが起こった。事実を忠実に記録することにしか興味がなかった富塚が、少しずつフィクションを書くようになったのだ。それはいつしか創作物語になり、1作目の「青い山脈物語」は半分がフィクション。2作目の「オランダ結婚物語」は約7割がフィクション。そして、6作目にいたっては、完全なフィクションになってしまった。あれほど事実記憶だけに執着し、嘘ひとつつけない生真面目な彼が、記憶の隙間にふっと滑り込ませた「作り話」の面白さに目覚めたのか。記憶というものは、実は自分にとっていつでも作り替え可能なものなのだという、その本質に気づいたということなのかもしれない。人間にとっての「物語作り」の原型を見るようで、実に興味深い。
作品は2008年アールブリュットコレクション(ローザンヌ)に所蔵。また2010年開催のパリ市立アンサンピエール美術館展「アール・ブリュットJAPONAIS」にも出展された。…(文・はたよしこ)