明治31(1898)年、東京美術学校の校長だった岡倉天心は同校を辞め、橋本雅邦、横山大観、菱田春草、下村観山らを率いて日本美術院を興します。日本画の革新を目指したものでした。それ以来、日本美術院は長い間にわたり日本画壇をリードする存在であり続けています。その日本美術院が主宰する公募展が、一般的に「院展」と呼ばれる展覧会です。これに入選することは大変に難しいことで、現代でも日本画の最高峰の公募展として知られています。
戦後、吉川啓示・伊藤弘人・石井了ら相模原の若者は、全国を相手にできる日本画家になることを目標に、「院展」への入選を目指して研鑽を重ねます。やがて彼らは入選を繰り返すようになり、所属画家として認められるようになりました。その後、すでに団体の中核をなしていた岩橋英遠や吉村誠司など、優れた画家たちが次々と本市に転居してきます。こうしていつの間にか、相模原には院展画家たちの系譜のようなものができていました。それらの画家たちの活躍により、現在に至る本市の美術文化が花開いたと言っても過言ではありません。
本展は、院展「同人」(運営責任者)から「特待」(20回入選)、「院友」(3回入選)という肩書を持つ市内在住の院展画家の作品を紹介し、併せて相模原の美術文化を再確認しようとするものです。