ある日、何かが起こった。君は肉体的にも精神的にも引き裂かれそうだった。その苦痛から逃れようともがいた。最悪なことは、かつて全てを意味した美しい世界と向かい合いながら、一人になってしまったことだ。心傷つき、無感覚になり、妄想に取り憑かれ、動揺し、無為に過ごし、昼夜を問わず頭に鳴り響き喉を締めつける自らの声で目を覚ます。それは悪夢などではない。それが新しい行動規範だ。その状態に慣れるまでに随分時間がかかった。そして何かが失われてきたのだった。
君はポケットに手を突っ込んで、震える手を気づかれないようにすることしか出来なかった。ポケットの中に掴むものは何もない。それはわかっていた。指を握って、頭を垂れ、歩き続けた。必要ならどこか別の場所へ行こうとしただろう。がらんとした港の周りをぶらついても慰めにはならなかった。君はただ、どうしてそれが起こったのかがわからなかった。恐れ、不安になり、そして口をつぐんだ。目を開けている時には音一つ聞こえない。目を閉じると、避けようとしてきたあらゆる雑音で息が詰まった。ある晴れた日の日差しが、君を焼き尽くし、ぞっとさせた。
君ではない誰かが港から逃げ去って行く。逃避した人々もどこかで孤独に苛まれるのだ。彼らは惜しまれ、君も君自身を惜しむだろう。非難され、糾弾されるべき人々は無傷のままだ。
罪悪感が、スクリーンショットされる。
リー・キット 2020年11月
展覧会について
ここ数年のリー・キットは各地を旅して回るアーティストであった。ビエンナーレや美術館、インスティチュート、ギャラリーに招聘され、40箇所近い世界各地の都市へ渡航してきた。キットはその土地にしばらく滞在しながら制作と展示を同時に行う。2018年、原美術館で個展を開催した際も10日間あまりの日々を美術館内とその周辺で過ごし、大半の時間は東京という街、原美術館という場所を拠点とする人々の行動やそれを通して顕れる感情に対する観察に費やされた。展示は数点の絵画、オブジェを除き、キットが日々どこかで撮影したイメージを編集し、空間にプロジェクションすることで構成された。毎朝、会場へ到着した美術館のスタッフが目にするのは、おおよそがらんどうの展示会場。一台ずつプロジェクターのスイッチをいれると光や音が出現する。そして間もなく訪れる来場者が、投影された作品の上に自らの影を重ね合わせながら館内を動き始める。来年初頭に惜しまれつつ閉館を迎える戦前の洋館、原美術館というセンチメンタルな空間の静と動、気配や陰影を、移ろう時や天候などあらゆる環境を用いて視覚化したのだった。
キットの展示空間はそこに人が立ち入ることで作品としてのクオリティを損なわない。それと同様に人々がいかに彼の活動に関わろうとも、その本質が薄まることはない。キットの作品も彼の作法も開いているようで閉じており、閉じているようで開いている。リー・キットの凄みは解放された自由を他者へ担保しながら、同時に何かを発生させていくという新しい方法論を展示の上でも実現し、さらに普段の生き方においても実践している点ではないだろうか。
リー・キットの故郷である香港は2019年3月よりかつてない過酷な現実にさらされることとなった。この出来事は多くの人々にとって社会的事変にとどまらず、容赦ない分断が個人のレベルにおいても癒し難い傷を負わせる悲劇であったことは想像に難くない。その約一年後にアジアから新型コロナウイルスが全世界へ広がった。そのようななか、「(Screenshot)」と題された本展は「罪」の概念に基づいて組み立てられる。依然として出入国の規制が厳しい現状において、今回キットは東京へやって来ない。代わりに滞在先の台湾より東京の我々に向けて「展示設営インストラクション」を送り、遠隔で協力し合いインスタレーションを作り上げる算段だ。その中には絵画だけでなく、キットが6年前より継続的にFacebookに投稿してきたフォトドキュメンタリーより制作される写真作品も展示されることとなる。
リー・キットにアーティストとしていかなる心境の変化があったか尋ねると、「How to make things happened(どのようにものごとを引き起こすか)」という意味では大きく変わらないという。人は生まれ落ちた瞬間から与えられた条件のもとに生きる。その条件の幸不幸は測り知ることができないが、思考し続けることで日常から少し這い上がって息をすることができる。リー・キットの方法論はこのように分断され抑圧された社会状況下においてもその力を発揮することだろう。それは政治を糾弾し人命を救う力はないが、現実の壁に穴を穿ち我々が想像力を動かすための余地を与えてくれるはずである。
2020年11月 シュウゴアーツ
企画担当 石井美奈子