宮崎は九州の他の地域と比べ、やきものが少ないと言われます。しかし、県内をあらためて見てみると、古くは、8世紀から9世紀にかけて須恵器を焼いた窯がありました。中世には、簡単な構造の窯で焼かれた素焼きの土器が地域単位で生産されています。そして、「やきもの戦争」と言われる文禄・慶長の役(1592・1597)から始まるやきものの大きな歴史の流れは、宮崎の地にも何らかの影響を及ぼしたのではないかと考えられます。その中で、江戸、明治、大正、昭和といくつかのやきもの窯が築かれました。
これらの窯の成り立ちは、都城の焼物所のように、藩主の意向で築かれたもの、南郷町の脇本焼や、西都の都万焼のように、篤志家が地域に産業を興そうと私財をなげうって開いたもの、明治になって人の移動が容易になり陶工たちが自らの意志で宮崎に移り住み築いたものなど、様々でした。そこでは、茶碗、皿、徳利、壷などの日用雑貨から、高い技術を要する透かし彫りの香炉や染付の皿など様々なものが焼かれました。現在見ることのできるこれらのやきものからは、ものづくりにひたむきに取り組んだ陶工たちの想いが伝わってきます。
本展覧会では、江戸時代後期から昭和にかけて宮崎で焼かれた小峰焼、丸山焼、庵川焼、小松原焼、脇本焼、都万焼を紹介するとともに、県内の作品に大きな影響を与えた鹿児島、長崎、島根のやきものを展示し、宮崎のやきものの源泉をたどります。