この度小山登美夫ギャラリーでは、工藤麻紀子展「空気に生まれかわる」を開催いたします。本展は作家にとって当ギャラリーにおける4年ぶり6度目の個展となり、新作ペインティングや、初めての試みである壁紙に描いたドローイングなど、バリエーション豊かに展示いたします。
【工藤作品について
-いつもの風景が「急に輝いて見える」瞬間を描く-】
季節や時間の移り変わりによる光の変化から、いつもの散歩中の風景が「急に輝いて見える」瞬間や、ふと頭に思い浮かぶ以前通った道、景色、そこにあった植物、花、動物、人、心打たれるような言葉など。
工藤は、普通は見逃してしまいそうな日々の事柄を独特な感受性で受け止め、自身の感情を通してイメージをふくらまし、ダイナミック且つ繊細に描いていきます。
作品には複数の場面とパースが同時に重なりながら展開し、独特の浮遊感と躍動感を生み出しています。工藤が愛する植物や動物たちは、あふれんばかりの生命力と力強さを画面に与えています。と同時に、色彩は鮮やかで淡く、画面の憂いげな表情の少年少女はどこか落ち着く場所を探しているような、儚い静けさがあります。自身「絵では人物と風景の両方で感情を表している気がする」*1と語るように、モチーフと背景は有機的に溶けこみ、まるで記憶の中の夢のような世界観があらわれているようです。
工藤は作品制作において、幼少期に触れた自然や動物、漫画、アニメ、そして後期印象派に影響を受けたマティス、ボナールに感銘を受けており、自身の作品は「結局は光を描いているのかもしれない」と言います。変化する光を捉え表現する様は、まさに現代に続く印象派の系譜とも言えるかもしれません。
【新作ドローイングについて
- 壁紙やボールペン、身近な素材での直接的で自由な表現】
本展では、紙のほかに壁紙を支持体として初めて使用するなど、最新のドローイング作品が豊富に展開されます。
工藤にとってドローイングは、直接的に描きたいイメージをはきだし短時間で描き切る、写真やポラロイドに近いものです。ボールペンで線描を重ねた感じは、昔影響を受けた漫画のイメージに近くなり、また銅版画のようにも密度濃くできる過程が楽しいと言います。そして紙だと絵の具の発色もよく、ペインティングではできない自由な表現ができるのです。
紙にボールペンと着彩で描かれた「untitled」は、作家がよく通る道にある下水処理場の建物が植物のプランターのように見えたため、色とりどりの植物を溢れさせ、正面を見つめる大きな猫と妖精のような人物がいる幻想的な情景を生み出しました。
評論家のハンス・ウルリッヒ・オブリストが編集した冊子の中で、工藤は、壁紙のドローイングについて、次のように述べています。
「どんなに安くても余っていても、白い紙が怖い。
幼稚園で画用紙を渡されてもっと大きく描きなさいって何度も言われた。
でも小さく描いた、見られるのが恥ずかしかったのもあるし紙とクレヨンがもったいなかった。
家が貧乏だったのかもしれないし、性格なのかもしれない。
人よりリンゴの木が圧倒的に多いところに住んでいたので、落ちた青いリンゴやチョークで道路に絵を描いた、家ではチラシの裏に鉛筆で描いた。
壁紙は余っていた物で絵の具はほぼ油絵を描いたあまりのもの。
エコでもなんでもなくて、子供の頃と変わっていないだけだった。」*2
また本展に際し、数々の現代アーティストのエディション作品を手がけているオランダの「AVANT ARTE」より、工藤新作ペインティング「感情移入」の作品画像による版画作品(120エディション)も制作されました。高品質・高耐久性・長期保存に適したアーカイバルピグメントプリントという印刷技法を用い、顔料を吹き付けたような味のある質感に刷りあがっています。
【新作ペインティング「空気に生まれかわる」
- 現実と結びつく強さと開放感、踏ん張ってなるべく明るい方へ】
本展および新作ペインティングのタイトルである「空気に生まれかわる」は、数年前友人の飼っていた子猫が病気で亡くなった時の、友人の「空気に生まれかわって動物の呼吸を助けたい」という言葉に強い衝撃を受け、そのやさしい気持ちを表現したいと思ったことから端を発しました。夕暮れ時の街を臨む丘の上に、空気のように浮かぶ複数の動物、顔と人。本作には工藤の「人間」に対する考えの変化が反映されています。
今までの工藤作品には、1人もしくは2人の人物と、動物が登場していました。元々工藤は人間に対して距離感や意思の疎通に難しさを覚え、動物のほうが仲良くなれると思っていました。しかしこのコロナ禍においてウィルスに右往左往させられている人間を見ると、人間も可愛いものだなという愛情が芽生えたと言います。
作家本人、本展に際し次のように述べました。
「今まで絵をかくことによって誰かが不幸になっているかもしれないと思っていました、今でも恐れはあります。
材料は限りある資源だし、山を削り動物のすみかを奪い宝石を消費するような罪悪感。
絵を見て嫌な気持ちになる人もいるだろうし。
コロナの件もあるし、自分の無力さも感じるし、でも踏ん張ってなるべく明るい方へ、皆を
少しでも幸せにしたいと思って、毎日、笑いたければ笑えと思って描きました。」
新作「空気に生まれかわる」の中で、人物には今までよりも実在感が伴っており、おだやかな複数の顔を一つのキャンバスに描くことは、人間社会からはどこか逃避的だった工藤が現実と結びつく強さと開放感を手に入れた表れとも言えるでしょう。
小山市立車屋美術館学芸員の中尾英恵氏は、工藤作品に関して次のように評しています。
「工藤の描く絵は、社会的メッセージによるものではないけれど、孤独が社会問題となる現代社会において豊かに培う孤独との向き合い方や機械的合理化に抵抗する自然の生命力、移ろいやすい社会において変わらないであること、スピード社会における余白は、私たちに政治的思考を促してくれる。」
*3
私たちは工藤作品を観ることで、自然、動物、人、世界との深い対話の重要性と、閉塞的な状況でも見方を変えると世界は変化し、力強く光り輝くことを知る幸せに気づかされます。工藤の最新の作品世界をご覧に、ぜひお越しください。
*1 「キャンバスを打ち破る現代の女性ペインターたち 4 工藤麻紀子」『美術手帖』、美術出版社、2017年3月1日
*2 『A Journal for Contemporary Art Issue 4.5』(ハンス・ウルリッヒ・オブリスト編集)Cork Street Gallery、2020年10月12日
*3 中尾英恵「孤独であることの豊かさと強さ 『工藤麻紀子展』」『美術手帖』、美術出版社、2016年5月1日